不妊治療を経験した方の約11%が、仕事と治療の両立が難しく離職を選択しているというデータがあります(国立成育医療研究センター調査)。優秀な人材が、「自分の将来」か「仕事」かという選択を迫られている現実は、経営的な損失でもあります。本稿では、当事者が安心して働き続けられ、周囲のメンバーとの不公平感も生まれにくい、持続可能な支援の仕組みを人事の視点で解説します。
不妊治療のリアル:当事者が抱える4大負担
不妊治療は、多くの人が想像するよりも遥かに多面的な負担を伴います。
- 身体的負担:ホルモン注射による腹部の膨満感や強い倦怠感、採卵後の痛みなど、治療の内容によっては翌日の通常業務が困難なほどの身体症状が生じます。
- 精神的負担:治療周期ごとに「成功か失敗か」という結果を繰り返し受け取ります。ホルモン療法の影響で気分の落ち込みやイライラが激しくなることも多く、精神科専門医の立場からは「不妊治療期間中は抑うつ状態に近い精神状態が継続しやすい」と言えます。流産を経験した場合には、複雑性悲嘆(グリーフ)への対応も必要になります。
- 時間的負担:治療のスケジュールは月経周期や卵胞の育ち具合によって変動し、「明日の朝イチで病院へ」という急な通院が珍しくありません。事前に有給休暇の計画を立てることが難しく、職場への説明も困難です。
- 金銭的負担:体外受精1回あたりの費用は30〜60万円程度とされており、精神的プレッシャーと金銭的プレッシャーが同時にのしかかります。
人事が構築すべき相談体制:「話せる場所」の設計が最重要
支援の第一歩は、当事者が安心して状況を打ち明けられる環境を整えることです。不妊治療は非常にプライベートな問題であり、「誰かに知られるかもしれない」という不安が相談を妨げます。
産業医を中立的なアドバイザーとして活用する
人事や上司に話すことへの抵抗感が高い場合でも、医療職という立場の産業医なら話せるという従業員は多くいます。産業医面談を「業務調整の相談窓口」として活用し、「通院のために週1回午前中を外しやすい業務配置」や「業務の一時的な見直し」を産業医の意見を通して人事に伝達する仕組みが有効です。
プライバシーを守る情報管理
相談内容や治療の有無が本人の同意なく上司や職場に共有されない体制を明確に伝えることが、相談のハードルを下げる最大の条件です。
現場の不公平感を生まないマネジメント:チームで支える仕組み
「あの人だけ早退が多い」「急に休まれると困る」——こうした現場の不満は、支援を受ける本人にとっての大きな心理的プレッシャーになります。
業務の可視化とバックアップ体制の整備が鍵です。誰かが急に不在でも業務が回るマルチタスク体制は、不妊治療の有無に関わらず組織の健全性を高めます。また、サポートに回るメンバーへの感謝を「見える形」で示す文化——管理職からの言語的な感謝、人事制度上のポイント付与など——が、「お互い様」の雰囲気をつくります。
不妊治療支援に取り組む企業は、健康経営優良法人の認定においても高い評価を受けます。制度整備は社会的評価の向上にもつながります。
まとめ:「もしもの支援」が、人材を長く引き止める
不妊治療を経験するかどうかは、従業員本人にも予測できません。しかし、「もし自分がその立場になったとき、この会社なら支えてもらえる」という安心感は、日常の仕事への信頼と定着率に直結します。制度を整え、産業医を活用した相談体制を構築することは、従業員の人生に寄り添う経営の姿勢そのものです。一人ひとりが治療と仕事を両立しながら輝き続けられる職場を、一緒につくっていきましょう。